cancheerの考え方
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もうひとつの「大和」で考える

日付

2006.01.11

今回は、どうしても書きたくなって、短いコラムにしてみました。「『男たちの大和』で伝えきれるものは」という、以前に一度書いたテーマの追記です。今回は、偶然テレビで出くわした「女たちの大和」の再放送を観ての感想でもあります。

 

「まあ、いいじゃないか」という、気楽&独楽コメントコーナーは、
書評、社会評論などを前向きに行います。英語はお休みです。



「満員御礼!動員200万人突破!!」
すごいです。でもそれ以上の価値ある作品ですからね。
今回の僕の記事は、《続編》のさらなるお願い、です。


戦争を知らない世代から、僕らは、「戦争の意味を考えないといけない」世代になっています。かつて他国(クウェート)を蹂躙したイラクを、戦争という手段でアメリカは制圧しようとしています。日本はそれに側面協力。目を転じて国内では、愛国心教育が再開され、戦後の卑屈さの中から脱しようとする試みが始まっています。よく言えば、日本人が世界にモノを言う権利を得るために様々な負担を呑みこもうとしているようです。「日本が主導して平和な世界を創り上げる」という大義は、どこかで聞いたことのあるセリフとだぶります。


先日、この映画とタイアップしていたテレ朝の番組で、「女たちの大和」という番組が再放送されていました。もうひとつの大和の物語が、そこでは紹介されていました。死を覚悟した人々の様々な心情を描いた点はまったく同じでしたが、残された人(女性)たちの悲痛さが、あんなに激しいものだったことを初めて知りました。


途方もない巨大戦艦を造り、唯一の希望の灯だったものが、まもなく悲痛の象徴になってしまう現実。しかも、そこでは自分の大切な人が運命をともにしようとしている。「私」とではなく、大和と。残された者にとって、生きる地獄としか形容できないものだと痛切に感じました。


戦争のない世界を創るために、きっと日本は世界への発言力を強めるべきなんだろうと、僕も思います。もっと率直に言えば、絶対負けないだろう国に付き従い、自国の平和を確立するという考え方も、極めて現実的なものだと理解します。


さて、今日の現実を、大和とともに亡くなっていた人は、なんと答えるでしょう。その「もうひとつの大和」の物語として、臼淵大尉(長島一茂氏)の妹さんの話が紹介されました。妹を頼みたいと、自身が信頼する戦友に託したのです。臼淵大尉と言えば、本編では、死を前に動揺する若者兵士たちを前に、「いま、目覚めずしていつ救われるんだ オレタチはその先導になる」と、みずからの死の意味について語った方です。死ぬ者、生きる者の役割の違いを悟り、見事な言葉にしたのです。


死んだあなたに、また会いたい…親友に妹を託し、日本の新生を信じて戦艦「大和」と共に散った臼淵大尉、最愛の妻に生還を誓ったが、沈没する「大和」に自ら残った小笠原兵曹、「われ亡くも永遠に微笑めたらちねの―」という歌を遺し、人間魚雷「回天」で特攻死した塚本太郎など、愛するものを守るため戦場に散った男たちと、遺された人々の終わりなき鎮魂の旅を描く全十話。戦後六十年、今、また甦る愛と涙のノンフィクション。(『女たちの大和』辺見じゅん著)


大和に限りませんが、当時に散った、生き抜いた人々の膨大な手記やインタビューの記録がまだたくさん残されていると知りました。ぜひ、それらをもとに、今度は、『もうひとつの大和』という物語を制作してほしいと強く感じました。戦後、内田二等兵(中村獅童)などの生き残った人々の、悔しさや悲しさ、虚しさなどを、今日の僕たち向けに再びよみがえらせてもらえないでしょうか。戦没の魂を祭ることで、隣国とのあらたな摩擦を抱えている今日に、彼らのメッセージを示してもらいたいと思います。


戦艦大和の沈没は、未来への絶望を日本人に刻み込みました。アジアを自立させるという尊い大義が今まで隠してきた戦争の恐怖を、初めて国民に知らせた大きな転換点になったのだと思います。アジアの人であれ、日本人であれ、最愛の人を失う/守れないこと以上に、悲しいことがあるのでしょうか。石油も、領土も、覇権も、いかなる大義も豊かさも、その犠牲を強いるほどの価値はないのだと僕は思います。





もし、今の日本に何かを申し上げるなら、私は外で戦って死にたくはないということです。経済学者の森永卓郎さんがニュースステーションかどこかで、「攻められたら、殺されればいいじゃないですか」的な発言をしていました。つまり、好戦的な人たち ―敵の脅威を煽って戦いの準備を進めたがる人たち―をたしなめて発言でしょう。聞いていると、まるで、戦闘ゲームレベルの議論をしている人たちも多いんです。番組で、森永氏は(あのキャラですから)周囲の論客たちに笑いものにされていましたが、実は、僕の持論も森永氏に限りなく近いものです。


戦艦大和に乗るくらいなら、もっと虚しい死に方でもいいから、守りたい人の傍にいてやりたい。きっと、「行かんといて」って言われるでしょうし、それに精一杯応えたいと思います。臆病者の意見に聞こえるのでしょうか。




Posted by cancheer 11:07 AM | 固定リンク
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ブログ初挑戦☆
新参者です♪お手柔らかにお願いネ!分からなくって今日の出来事なんだけど...
「初めての日記どうかなぁ?」のサイトから
Posted at 2006.01.11 11:13
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